『象の話』 ※配布したDVDに冊子として収録されている


  
小学生の時、
とはいえ、わずか十年程前だが、
私は学校をさぼった。
先生が嫌であったとか、二重飛びができなかったとか、
理由を見つける事ができても、
さぼった事は説明できない。
ただ、空を高く感じた。
ペダルを一つ漕ぐ度に、
体が軽くなるのを感じたし、
汗が滲む度、
刺みたく残る罪悪感が、
剥がれ抜けていく事を感じたくらいに。

やがて、
当てもなく自転車に乗る私は
一つの動物園にたどり着く事となる。
とてもとても寂れた動物園で、
猿とキリンと象くらいしかいない、小さな動物園だった。
不意に動物園に入りたくなる。
動物に興味があったわけではない。
小さな冒険の結末でも、
用意したかったのだろう。
お金を持ち合わせているわけもなく、
フェンスをよじ上り、
するりと動物園の中に侵入する。
あまりにあっけなく侵入できた其処を
私は足早に、観てまわる。
しかし、動物を観ずに、観客を観ていた。
赤子を連れた母親や、スケッチをする大学生。
いつ声がかかり捕まるのではないか?
私はスパイとなり、秘密を運ぶ任務に追われている。
しかし、そういった空想もすぐに終りがくるものだ。
掃除係の初老の男が、
私を一瞥したが、
何事もなかったように、また掃除を始めた。
もちろん、私はスパイではなかった。
そう思うとさらに気分が高揚し、
鼻歌まじりに歩いて、動物たちを楽しむ事とする。
猿が互いの毛をむしり合い、
鳥が空を目指し、檻に羽を絡ませる姿を眺める。
今日のような晴れた日だと、ダニを殺すには・・・・・

 

さぼったのか?
不意に太い声がかかる。
私は硬直し、顔を後ろに向ける。
あたりを見回すと象である彼女がいた。
象は、フンッと小さな笑い声を漏らした後、
話す事がそんなに珍しいのか?と、尋ねた。
私はうなずく。
象の姿をしていれば象で、人の姿をしていれば人か?
続けて彼女は私に問いかける。
私は何も答えられない。
だまり込む私にむかって、象、いや、彼女は自分が人であると主張する。
象と人の姿の違いについてや、
人の言葉を持つ事について。
問いかけともとれる、話に対し、私は答える。
わからない。
その言葉を待っていたかのように彼女は答える。
では、人であると認めるか?
彼女はまた、小さな笑いを漏らした。
その小さな笑いにつられ、私も笑ってしまう。

それから、私は彼女と多くを話す。
私生活をみられる事についてや、
生まれた土地について、
この動物園の事、
私が学校をさぼった事についてや、
好きな食べ物の事、
この点においては象らしくリンゴと答えたことを記憶している。
鼻で砕いて汁をすするのが最高、
と彼女は言う。
通り過ぎる多くの人には、独り言を話す少女にしか見えなかったようだ。
日も大分と低くなった頃、突然
今日かぎりで貴方と話す事はない。
と彼女は、突き放して言った。
私は聞き返す。
どうして?と。
それに対し彼女は答える。
それも僅かに憎しみを込めて。
今日で私は違う動物園にうつされる。
そこでは赤ん坊が欲しいらしく、
私はその過程を公開しなくてはならない。そう・・・今日までだ。
その言葉は、私にとって非常に理不尽に感じた。
今日までしか話す事は出来ないのに、何故、私に話しかけてきたのだろう。
ずるい、ずるい、ずるい
私は言う。
しかし、彼女は言った。
悪いが帰ってくれ。
そして、もし私を見かけても、
もう二度と話かけないでくれ。
その瞳は鋭かった。
無償に悔しかった事を覚えている。
彼女はしばらく間をおいて、言葉を紡ぐ。
夢、そう昨日、夢をみた。
そして、その事を伝えたかったのだ。
彼女はその夢の内容について話し聞かせた後、
背を向けて宿舎へと帰っていった。
私は、ただ檻の外で立ちすくみ、彼女をみていた。


その夢の内容は・・・・・
彼女の事を思いだす度に、
何度も反芻され、やがて記憶と混じり合い、
彼女の輪郭を形成し彼女そのものとなる。
そこでは完全な人の姿だった。
と、彼女はその夢の話を切り出した。
彼女は、ここから僅かに見られるあの街を歩き、
人ごみの中で、地面を噛み締める。
ただ、それだけの夢。
車の窓は人間である彼女を映し、赤く実った唇に光が注ぐ。
それでも誰一人彼女に気がつかない。
街を歩く多くの人が彼女を無視したし、
そして多くの人が彼女を消し去ってくれた。
その事がどうしようもなく気分を高揚させてくれた。
そう、動物園を訪れた私と同じように。
それで、本当に、彼女自身が消えてしまったのかを確かめたくなり、
一つの悪戯を思いつく。
パンツをおろし、アスファルトにおしっこをした。
おしっこは勢い良くながれ、
アスファルトにいびつな線をかいた。
それでも、人々は、
その線を踏まぬように避けて歩くだけで、
誰も彼女に気がつく事はなかった。
それがどうしようもなくうれしくて、
彼女は叫んだ







私は消えてしまった
私は消えてしまった