遺体を回想する。遺体を綴る。 少しでも「死」を理解できたらとの思いから 葬儀屋で勤めた1年半の間、 100体以上の遺体に直接触れてきた。 その間、多くの「遺体」との出会いはあったものの (当然の事ではあるが)「死」を理解する事など出来なかった。 そこあったのは遺族、医者、葬祭業者 「死」を取り囲む状況 つい先ほどまで生きていた「遺体」
血まみれの遺体、 孤独が滲みでた遺体、 身体の一部が欠損した遺体、 裕福で幸せそうな遺体、 若い遺体もあれば年老いた遺体もあった。 人生の情報が蓄積され、総括されていた 。
私が遺体と対面した時のメモを頼りに、 記憶に留まる遺体を丹念に回想する。 回想される遺体は、 時が経つにつれ記憶の中で改竄されたものとなる。 多くの遺体が記憶の中で混じり合い、 他の遺体や記憶と混同され、 歪曲され、 激しく忘却され、 もはや事実と呼べる物ではない。 だが、虚構でもない。
8体の遺体の回想が、32のスピーカーから流れて、混じりあっている。
-回想の遺体 -(個展) 2010年12月7日 (火) 〜12月12日 (日) 立体ギャラリー射手座 "CUBIC"gallery ITEZA/京都
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